| 1951年 |  |
四国の愛媛県今治市に生まれる。穏やかな瀬戸内海の風景を見て育つ。小学校2年生のとき、両親とともに東京へ転居。番町小学校、麹町中学校、教育大学付属高校(現筑波大学付属高校)を卒業。高校時代はサッカー部。「政治の季節」の只中の1970年に東京大学に入学。大学時代は、当初、ワンダーフォーゲル部に所属するも、まもなく季節の嵐の中へ。
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| 1974年 |
東京大学の工学部を卒業する。当時「21世紀のエネルギー」と期待されていた原子力工学を専攻する。在学中、世界的シンクタンク・ローマクラブの『成長の限界』を読み、地球規模の課題であるエネルギー問題と環境問題に取り組むことを志す。しかし、大学院に進んで原子力の環境問題を研究するためには、放射線医学や放射線生物学を学ぶ必要があると考え、医学部放射線健康管理学教室で研究生として学ぶ。このとき、恩師、吉澤康雄教授との邂逅を得る。2年後、工学部大学院に進学。
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| 1981年 |
東京大学大学院・原子力工学専門課程を修了する。工学博士を取得。同年、三菱金属株式会社(現三菱マテリアル株式会社)に入社する。このとき、秋元勇巳取締役(現三菱マテリアル会長)との邂逅を得る。当時、原子力分野のシンクタンク的役割を果たしていた原子力事業部で企画、営業の仕事に従事。
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| 1987年 |
米国のシンクタンク・バテル記念研究所に客員研究員として赴任する。このとき、同時に、米国の国立研究所であるパシフィックノースウェスト研究所の客員研究員も務める。この世界最高の技術系シンクタンクで、国立研究所の運営さえも任される米国のシンクタンク・ビジネスのダイナミズムに深く感銘を受け、日本にも新しいタイプのシンクタンクを設立することを決意。帰国。
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| 1990年 |
日本総合研究所創設の呼びかけに応え、その設立に参加する。このとき、小松康会長、花村邦昭社長(当時)との邂逅を得る。同社技術研究部長、事業企画部長、取締役・創発戦略センター所長を歴任。日本総研在籍中の10年間に、民間主導による新産業創造をめざす「産業インキュベーション」のビジョンと戦略を掲げ、民間企業702社とともに20のコンソーシアムを設立・運営。これらのコンソーシアム活動を通じて、ISVジャパン(通産省から20億円の補助金を交付)、FESCO(ニュービジネス大賞環境賞を受賞)、エンバイオテック・ラボラトリーズ(中小企業庁長官賞を受賞、さらに東京都ベンチャー技術大賞優秀賞を受賞)などのベンチャー・ビジネスを生み出す。
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| 1995年 |
米国のEコマース推進団体であるコマースネットと提携し、コマースネット・ジャパンを設立。初代国際部会長を務める。グローバル・コマースネット構想のもと、世界各国にコマースネットを設立する運動を主導する。また、通産省の電子商取引実証推進協議会(ECOM)の設立に参加。運営委員を務める。さらに、民間主導のEコマース推進団体であるスマートアイランド・コンソーシアムを設立。代表を務める。
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| 1999年 |
米国のニューイングランド複雑系研究所(NECSI)と提携し、NECSIジャパンを設立。代表を務める。複雑系の視点から「コンソーシアム」や「Eコマース」の戦略を研究するとともに、複雑系マネジメントや複雑系マーケティングの研究を進める。
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| 2000年 |
4月、多摩大学教授に就任する。「複雑系の経営」の講義を担当。6月、シンクタンク・ソフィアバンクを設立。同代表に就任。現在に至る。 |